再起不能からの再起

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気仙沼ケーブルネットワークの局舎再建への道のり

東日本大震災の大津波は、海から1キロの距離にあったケーブルネットワークの局舎を全壊させ、さらに主要な通信回線も流失し、気仙沼ケーブルネットワークのサービスは再起不能に思えるほどの被害にあった。

 

「震災当日の夕方4時頃に市内が火事になった。その炎で暖をとった。最初の1週間は、生きることで精一杯だった。飲み水も食べ物もない。冷蔵庫は泥まみれ。もらった食べ物、流れてきた食べ物をきれいに洗って食べた」。そう話す気仙沼ケーブルネットワーク株式会社に勤める梶原英義氏。

 

仕事のことを考えることができたのは、震災10日後ぐらい。自分たちはこのまま生きて行けるのか。津波の直後からケーブルテレビの加入者へ映像を送ることができなくなり、会社の収入は途絶えた。

 

お客さんへ連絡が可能となってからは、サービス復旧の見込みが立っていないことを説明して謝罪した。地元のお客さんが、我々の窮状を理解してくれた。そして声援を送ってくれた。

 

再建に向けた手探りは、地上デジタル放送サービスの仮復旧から始まった。長期間テレビが映らないのは不便であり、不安であるため、最優先で取り組んだ。市内50カ所くらいに仮設アンテナを立てた。それにより、5月の連休までに多くの地点でテレビが映るようになった。

 

サービスの本格再開のためには、局舎の再建が必要で、それには何億円もの費用がかかる。豊富な資金があるわけでもなく、再建は不可能に思われた。ところが日本ケーブルテレビ連盟の東北支部に相談したところ、一縷の望みを感じることができた。連盟の協力があって、全国から必要な機器の無償提供、無償貸与などを受けることができた。そしてついに仮局舎の建物の再建のために、行政の支援を受けることが決まった。

 

サービス再開のために局舎を高台に再建する。そこに至るまでの道のりは、何らかの見通しがあったわけでもなく、まさに手探りを続けた結果であった。局舎といってもプレハブであるが、再建がかなったのは震災から8ヶ月後であった。

 

サービスは元のレベルにまで戻りつつあるが、取り返しのつかないものもある。それは、撮り貯めた映像という財産である。テープで保存していた映像をブルーレイに保存する作業をやろうとしていたタイミングで津波にやられた。ディスクを保管する金庫も用意していたのに。失ったのは、25~6年分のテープ約1,000本である。

 

うまく対処できたものもある。提供中のインターネット関連サービスは、震災後も無事だった。というのもサービスに必要な設備が三重県にあるデータセンターで運用されていたため、メールとWebはそのまま使えた。

 

震災の被害を永く後世に伝えるために、震災直後からその後の復興にかける気仙沼市民の様子を収録編集したDVD『東日本大震災 ~ 3.11 気仙沼の記録 ~』を制作した。海外にも伝えたく思い、英語版も作った。

 

梶原氏は「全国の皆様方からのご支援いただき、本当にありがとうございました」と語った。採算ラインに戻るにはまだ時間がかかる。しかし再び歩き始めることができた。「それが恩返しだと思う」とも述べた。

 

気仙沼ケーブルネットワークのホームページ
http://www.k-macs.ne.jp/

 

(取材日:2012年2月3日 ネットアクション事務局 新谷隆)

 

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This article( by ネットアクション事務局 )is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.

 

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