地震発生の4時間後「sinsai.info」が立ち上がった(関さん1/3)

地震発生の4時間後「sinsai.info」が立ち上がった(関さん1/3)

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オープンソース、オープンデータを使ったクライシスマップを動かした技術者たち

Georepublic Japanの代表社員の関治之(せき はるゆき)さんはここ数年「位置情報とモバイルを使って、世の中を楽しく、便利にする仕組みを作りたい。技術者なので自分の書いたコードがすごくレバレッジが利いた状態で世の中の役に立てるようになりたい」と考えていた。言葉の通り、彼の携わったsinsai.infoは、既にネット上にあるツイッターの情報や直接、提供者から送られた情報を地図上に分かりやすく表示して評価された。

 

地震発生の4時間後には「sinsai.info」が立ち上がっていた。このスピードは背景にオープンソースを活用する技術者のコミュニティがあったからだ。オープンソースを使ったクライシスマップの運用をハイチの地震で経験していた仲間が「日本でも使えるはずだ」と震災の数週間前にインストールしていた。それを活用して有志たちで日本語化を終わらせていた。

 

sinsai.infoは”Ushahidi(ウシャヒディ)”というオープンソースのアプリケーションで作られている。「スワヒリ語で “証言”を意味するUshahidiは、当初はケニアで2007年の大統領選挙後の暴力を市民が地図(グーグルマップ)上に書き記すために開発されたウェブサイト」だ。技術者の誰もが活用し、その成果をフィードバックするスタイルで成長するオープンソースだ。ハイチやクライストチャーチの地震のときにも使われて、経験が書き戻され、より使い勝手がよくなっていた。

 

「僕が地震のあとミッドタウンから家に帰る途中に事務局長の東さんたちによって立ち上げられていました」。関さんが所属して、活動していた一般社団法人オープンストリートマップ・ファウンデーション・ジャパンのメーリングリストが震災直後から活発に動いていた。「代表の三浦さんが、僕らも何かしようと呼びかけて、東さんがUshahidiを使いましょうって。ポケットWi-Fiは使えたので歩きながらその様子は見ていたんです」。家に着くと同時に「手伝います」と宣言してから、週末を通じて作業していたという。「月曜日になって、出社できませんといったら、当時勤めていたシリウステクノロジーズの社長がいいよって」。それから一ヶ月、sinsai.infoの開発と運営に全力を注いだという。

 

情報を提供する人、利用する人、情報を抽出して発信するボランティアのモデレーター、技術者、法律の専門家、翻訳者など多くの人々が関わった。ウシャヒディ本体からも支援の声が届く。「病院で閉じ込められています」というツイートをモデレーターが掲載して、「自衛隊に連絡しました」、「自衛隊の人が必ず迎えに行きますって言っています」、「助かりました、感謝します」というやり取りが起る。「おかげで友人が今どうしているのか分かります。サイトを立ち上げてくれ有り難うございます」と書き込まれる。毎日山のように感謝のことばが届いたという。「感情のコントロールがうまくいかなくなっていて、毎日大泣きしていました」

 

個人情報を扱うボランティアの方々を守るためにも情報の扱い方が整備されてゆく。法律専門のチームも出来た。国内はもとより、アメリカの国際弁護士も参加してくれた。位置情報系のジオメディアサミットの繋がりや、一緒に遊んでいた友人たち、いままでの人の繋がり、プロフェッショナルが一気に集まってきて協力してくれる。

 

以前一緒のカンファレンスで登壇したことのあるアメリカのグーグルの社員に紹介されて、Hack For Japanの活動に合流する。第一回のハッカソンにsinsai.infoのAPIを提供し、そのままスタッフミーティングに参加した。技術者として出来ることを追求するのが自分らしいのではないかと思う一方で「多くの人が現場に行きたかったと思う」という。「Hack For Japanのなかでもすごく葛藤があったし、sinsai.infoももっと出来ることがあっただろう思っているんです」と、後方支援に徹しようと決めて取り組んだなかでも、現場で頑張った人たちへの敬意と自分たちの活動にたいする厳しい評価をしている。

 

「被災地ではネットが見れなかったんです。当初、ITはだめじゃないか、なんの役にも立てないんじゃないかという空気が業界に流れていました。技術者として諦めたくありませんでした。数ヶ月後、Hack For Japanのメンバーと被災地に出向いたときも、被災現場ではその場に居続けないかぎり、なかなか役に立ちきれない。でも、後方支援の拠点になっていた遠野にお邪魔して、遠野まごころネット代表(当時副代表)の多田一彦さんにお会いしたときは『ITに出来ることは沢山有る。一緒にやりましょう』と言ってもらえたので、やはりやり抜こうと」。Hack For Japanが企画した石巻での現地との交流会で「われわれが痛感していた問題を現場の人からもう一度指摘された。それが有り難かった」という。現場支援者から「僕たちが情報を載せます」という発言がでた。知り合った支援者、被災された方々と連携して、技術者として出来る活動をさらに広げている。

 

小学校4年生のとき、ファミコンが欲しいというと父親がコンピュータを買ってきた。そして、ベーシックマガジンを渡されて「ゲームいっぱいあるよ」という。コードを丸写しするので、すごく打ち込みが早くなった。中学校から高校にかけてはコンピュータと離れていた。バンド少年でドラムを叩いていたという。大学の授業で皆が苦労しているコード入力がやたら早くて、これはいけそうだとコードを書くバイトを始め、楽しさを思い出したのが技術者への道のはじまりだった。

 

「子どもが生まれて、暮らす中で、地方自治の中で何かやれないかと強く感じるようになった」。公共に貢献する活動をしながら、それが「すごーく遠回りでも、自分のビジネスにもなんか繋がるようなことをしたい」という。

 

※関さんのインタビューは、全3回に分けてお届けします。続きは、下のグレー欄内のリンクからご覧ください。

 

(取材日:2011年12月19日 ネットアクション事務局 杉山幹夫)

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

This article( by ネットアクション事務局 )is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.

 

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