福島県国見町役場での14日間

国見町は福島県中通りの最北端に位置し、信達盆地の肥沃な土地に恵まれた人口約1万人の美しい町である。半澤一隆氏は国見町役場企画情報課でICTを担当。東日本大震災当日、震度6強の激しい揺れに見舞われた。役場庁舎内にいたら、天井が大きな音を立てながら落下、なんとか駐車場へ避難した。庁舎の壁には亀裂が入り、液状化で船のように揺れ動いている。再び大きな余震があれば、どうなってしまうかわからない状況であるにもかかわらず、半澤氏は再び庁舎内に戻り、失ったら取り返しの付かないデータが入っている「NASシステム」を抱きかかえて必死になって持ち出した。

 

町内での死者は出なかったものの、住宅の174棟が全壊、53棟が大規模半壊、528棟が半壊という被害をうけた。液状化による被害も大きく、上下水道が使えなくなり、道路の通行止めも多数発生した。

 

役所の機能を観月台文化センターに移すことが決まった。3月13日の夜に電気が回復すると、本格的にシステム復旧に取りかかることになった。国見町のシステムは外部のデータセンターで運用していた町のホームページを除き、全てストップしていた。半澤氏は正直困り果てていた。どうやって役場庁舎内の大量の機材を運び出したらよいのだろうか。天井のスプリンクラーが誤作動したため、使い物にならない機材も多いかもしれない。しかも新しい場所でいち早く情報システムを構築しないと、被災への対応がうまく行くはずがない。被災時のシステムの復旧は、まさに人命に関わる重要な仕事である。

 

滅多に繋がらない電話を手に取り、保守業者のインフォメーション・ネットワーク福島や日立システムズに電話をかけた。なんとか繋がった。状況を説明した。すると「半澤さんが困っているなら、今すぐに行きます」との返事。わずか数分後には、見慣れた顔ぶれの業者の人たちが来てくれた。そして、彼らは職員と一緒になって、いつ倒壊してもおかしくない町役場庁舎に入って3階のサーバ室から機器を持ち出してくれた。「涙が出そうなくらい嬉しかった」と半澤氏は言う。

 

無事に主要な機材を仮庁舎へ運ぶことができたので、そこから長い年月をかけてつくり上げてきたシステムの再構築作業が始まった。半澤氏は通常のやり方だと完了までに半年ぐらいかかってもおかしくないと思っていた。ところが、被災時ということもあり、さまざまなことを特例として「トップダウンで即決」してもらった。そして全職員一丸となった昼夜を徹した作業。さまざまな支援と協力を得て、システム復旧は短期間で完了することになる。3月14日から職員に手伝ってもらってノートパソコンの清掃や動作確認を行った。普段なら発注するLANケーブルも調達できないので、町役場にある材料で自作した。16日にはサーバ用の電源を確保。22日にはインターネット回線が復旧し、25日には観月台文化センターで役場の全業務を再開することができた。原発事故以来、福島には県外からの業者は来てくれない。地元業者の方々は常に寄り添って協力してくれた。

 

保守業者の方々と半澤氏は、震災以前から「絆」を築き上げていた。半澤氏は業者の方が町役場を訪れると、通常はゲストへの対応に使用する応接間へ案内した。業者さんが「あそこに行くのは嫌だ」と思われないように、むしろ「仕事で国見町に行きたい」と思ってもらえるように日頃から心掛けた。その人と人のつながりを大切にする努力が結実した。「絆は、かけがいのない財産だと思う」と半澤氏は語る。

 

・福島県国見町

http://www.town.kunimi.fukushima.jp/

・公開セミナー「東日本大震災と自治体ICT」のホームページ(半澤氏のセミナーでの発表資料)

http://www.city.sendai.jp/shisei/1201134_1984.html

 

(取材日:2012年1月23日 ネットアクション事務局 新谷隆)

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

This article( by ネットアクション事務局 )is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.

 

 

ネットアクションのトップへ