被災地に産業の再生を、全国に受援者としての仕組みづくりを

 

神戸市産業振興局企業誘致推進室 松崎太亮さん
 

17年前、神戸で阪神・淡路大震災を被災した松崎さん。神戸市役所の広報課職員として被災状況の記録をとり続けた経験が原点だ。復興の真っ只中に身をおいた経験から、今も被災地支援で全国を飛び回る。

 

阪神・淡路大震災当時、松崎さんは神戸市役所の広報課職員だった。まだデジカメのない時代、8ミリのハンディ・カメラを担いで自転車にのり、被災地を巡った。震災の晩、被害の少なかった神戸市立外国語大学でビデオをパソコンに移し、その翌朝、被害状況や焼失地域の情報をインターネットで伝えた。自分のした仕事は被災された方の役には立たなかったかもしれないが、被災の様子を知りたいと願う他所の方の役には立ったんじゃないか、と思う。

 

 

 

松崎さんは、その後防災教育を担当するようになった。今までの防災訓練だけではいけないと新たに教材をつくった。神戸にはJICAの国際防災研修センターができ、神戸の復興を学ぶために世界中から人が訪れるようになった。スマトラ、四川、ニューオーリンズ等、世界各地から研修にやってくる人たちのための教材も必要になり、英語版や中国語版もできた。

 

そんな中、昨年3月11日、あの災害が起きた。神戸市職員として、仙台市とその隣にある仙台空港のある名取市に支援に入った。被災した経験から、復興のロードマップを見ると次はこういう問題がおこる、というのがわかる。仮設住宅を建てたら次は排水、寒さ、暑さ、それから隣同士のトラブル。冬場なら火事も起こる。

 

その一方で、災害が起こるたび、その状況はいつも違う。だから、自分の経験を押しつけても意味がないこともわかっている。神戸の時と違って、今回の震災は被災状況がなかなか外に伝わってこなかった。震災直後に情報の空白地帯をつくらないような仕組みがないものだろうか。

 

神戸慰霊祭1月17日遠景

災害が起こるたびに支援する側は経験を積んでいくので、ルールがだんだんできてくる。今回も関西では2府5県の広域連合ができており、支援する側の横の連携はとれていた。今後の課題は支援を受ける側のしくみ作りだ。何を、どこまで、いつまでにやってほしいのか、受け入れ側のリクエストをちゃんと整理しておくことが必要だ。例えば他の自治体の人が支援に行って個人情報を処理する場合の制度も考えなくてはいけない。

 

被災地で働いて感じたのは、誰でもすぐに使えるシステムが要るということ。例えば被災者台帳。罹災証明や給付金をもらう時、仮設住宅に入る時に必要だ。神戸の震災の時にできた台帳システムがあるが、これを使おうとしてもうまくいかなかった。カスタマイズしている時間がないのだ。

 

これからの被災地に必要なのは地域産業の再生だ。神戸はかつて港湾物流の拠点だったが、いったん逃げた積荷は戻らなかった。だから、企業の誘致に力を入れてポートアイランドに医療産業都市を作っている。付加価値をつけて他所にないものをつくるのだ。

 

水産業も同じはずだ。この間、気仙沼の人と話したのは「発信機つきカツオ」。カツオに発信機をつけてどこを通ってきたかトレースしたらどうかと。以前ならエッて思うだろう。でも今だからこそ、これまでにない漁業の安全評価の仕組みができるかもしれない。地元だけではできないことを、政府が有識者や企業を集めて一緒に考えるプロジェクトを支援したら良い。

 

17年前の神戸での震災の翌日、宮城県の給水車が来ていたのを覚えている。一昼夜で走ってこれるのかと涙が出るぐらいうれしかった。しかし、災害の記憶は、必ず風化するものだ。だからこそ、被災地には長い支援をするつもりだ。期限のないくらい長く、向こうがもう来んでええよと言うまで。自治体職員としてだけではなく、かつての一人の被災者として。同じ痛みを持つ者として分かち合い、共に歩くつもりで。

 

 

神戸慰霊祭1月17日

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阪神・淡路大震災の記憶と教訓を伝える防災教材「ビジュアル版 幸せ運ぼう」(神戸市、神戸市教育委員会、神戸大学都市安全研究センター、読売新聞大阪本社、読売テレビ放送共同制作)は、学校もしくは公共機関に無料で提供しています。お問い合わせは神戸市教育委員会教育企画課(078-322-6651)。

 

 

(取材日:2012年1月17日 ネットアクション事務局 木村有紀)

 

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